あみどりちゃんと本を読もう

書評を上げます。ポジティブな読書を追求しています

お絵かきのモチベが保てない方へ。学者さんの方法を参考にしてみては?

「絵を描きたい!」というのはわりと普遍的な気持ちだと思います。とくに現代のようにアニメやマンガが社会に浸透すればなおさら、自分も描いてみたいと思いますよね。

ですが、じっさいに描きはじめると10分で飽きるとか、そもそも下手すぎて落ち込むとか、人間の体が複雑すぎてどう勉強すればいいのか分からねぇとか、いろいろとやる気を削ぐ現象が頻発します。

そういう障害にぶつかっても描き続けられるのが才能なんだ!と、思う向きもあるでしょう。でも、そんなアツい気持ちがなくても描き続けられる方法があったら、知りたくないですか?わたしが見つけてきたので聞いてください。

この本に書いてありましたよ!

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

 

 論文なんて書かねぇよ!というひとにも大変おすすめできる本です。わたしはこの本を読んで、冗談ではなく、ほんとうに人生が変わりました。

 さて、今回はちょっと変わった書評として、この本の内容は「絵を描くのにどう応用できるか」を交えつつ書いてみたいと思います。5章と6章は7章はより研究者向けの内容となっていますので、この書評では扱わないこととします。ご了承ください。

※いちばん重要なのは2章冒頭です。無駄な箇所を読みたくないという方はその部分だけでもお読みいただけるとうれしいです。

 第1章:はじめに

  • 本書の目指すところを説明してくれます
  • 「本書では、目に見える作業について扱おうと思う。ライティングの生産性に関わってくるのは、計画を立て、短期目標をはっきりさせ、進捗状況を把握し、書く習慣をつけ、自分へのご褒美も忘れないといった、やれば簡単にできるのにやっていないことがらの方だろう。生産性の高い書き手というのは、何か特別な才能や性質を持っているわけではない。より多くの時間を、より効率的に使っているというだけのことだ」(p.2)
  • 研究者の方でも何かを書くというのは大変です。研究してるときやデータを集めているときは楽しくても、それを文章にまとめる段になると科学の手続きに四苦八苦してしまうとのこと。結果、頭の中には「いずれ書く」ということになっているアイディアがたくさんある人も多いのではないか、と。そしていざまとまった時間ができても、日常の些事に追われて書けなかったことをグチるのです。
  • 書くというのは技術であり、身につけることができるものです。しかし学生は大学では「そのうち書けるようになるよ」としか教わらず、教員自体も満足に書けていません。仮に教わっても、それは正しい文体で書く方法だったりします。もっとも重要である"どのようにモチベーションを保つか"は教えてくれないのです。
    • こう見ると「書く」ことは「描く」ことはやっぱり違うな、という感じがいきなりしますね。絵を描くことには文章を書くよりは楽しい要素が多い気がします。いや、そうでもないかな…仕事を受けるようになったりすると違ってくるのかもしれません。
    • 「技術については教えてくれるけど、モチベの保ち方は教えてくれない」というのは絵と同じでしょう。人体のプロポーション、筋肉の部位の形状と名前、パースの取り方、色の塗り方…解説してくれる本もサイトも山のようにありますが、そもそも練習する気力が湧かない、というのが問題なのです。モチベについて言われることは「熱意を持て」のような曖昧なものになりがちではないでしょうか。本書では、どうやればモチベーションを保てるのか、これから教えてくれます。

第2章:言い訳は禁物 書かないことを正当化しない

  • この章の目的は「言い訳を打破すること」です。もっともらしく説明される「書けない理由」は実は穴だらけだと著者は指摘します。
  • 言い訳その1「書く時間がとれない」「まとまった時間さえとれれば、書けるのに」
    • これはあまりにも使われるので、使ったことのない研究者はいないでしょう。ですが、この言い訳は自分が逆境にいることにして感情を慰撫するものでしかないのです。

    • では、どうすればこの言い訳を潰せるでしょうか?答えは「スケジュールを立てること」です。時間を「見つける」のではなく「割りふって」おけば見つける必要さえないでしょう。スケジュール立てるときに大切なのは日数や時間ではなく規則性です。最初は週に4時間でも。

    • 時たま突発的に書くことにしている人を、著者は「一気書き派」と呼んでいます。彼らはそれなりには仕事をこなしますが、「書かねば書かねば」と常に煩悶します。一方で「スケジュール派」は、作業が進行することを知っているので安穏とした気持ちでいられるのです。

    • さて、せっかく立てたスケジュールは絶対に守らねばなりません。周囲の人に何を言われようが、破るのは「ダメ、ゼッタイ」*1を貫きましょう。スケジュールに文句を言う輩は1.そもそも書き手として不出来である、か、2.執筆が仕事であることを分かってない、のどちらかです。

    • スケジュールを守るだけで執筆が進むとは最初は信じられないでしょうが、とにかくやってみろ、そうすれば効果が分かるからと、著者は言っています。

  • 言い訳その2「もう少し分析をしないと」「もう少し論文を読まないと」
    • この言い訳は研究者からすると真っ当な言い訳に聞こえかねないそうです。実際、論文を仕上げるにはデータを正しく解釈し、先行研究を踏まえる必要があるからです。この言い訳を使う人は、はじめは完璧主義の立派な研究者だと思ってもらえますが、論文を完成させることはないので、時間が経つにつれて化けの皮がはがれる運命にあります。

    • この言い訳も簡単に打ち破ることができます。執筆の準備として必要な作業–データの解析、図や表を作る–はすべて立てたスケジュールの時間にやってしまえばいいのです。書くという行為はその前段階の作業も含めたものなのです。

  • 言い訳その3「文章をたくさん書くなら、新しいコンピュータが必要だ」(「レーザープリンター」「よい椅子」「もう少しよい机)版もあり)
    • 文書を書くのにゲーミングPCはいらんだろ、というような感じで一蹴してます。webに繋がらないことを嘆く人には、むしろ注意を逸らされない環境にいることを褒めています。

  • 言い訳その4「気分がのってくるのを待っている」「インスピレーションが湧いたときが一番よいものが書ける」
    • 実験の結果、インスピレーションが湧くタイミングは書く前ではなく書く作業中だと証明されています。スケジュールに沿って書くことがいい論文をたくさん書くための最良の方法だとしています。

  • 言い訳その1「時間が取れない」はtwitterなんかでもよく見ますね。スケジュールを立てましょう!これを実践すると本当に描けるようになりますよ。違うのは、絵を仕事にしていない人もいることですね。ただ、趣味の時間も立派な時間の使い方です。趣味を楽しむ時間は他の介入を拒否する、というのは十分にあり得る選択ではないでしょうか。あるいはいっそのこと、少額でもいいので稼いでしまえば「仕事」だと強弁することもできます*2
  • その2「もう少し分析をしないと」に当たるのはなんでしょうね。同人誌を描くときは「原作を読み込まないとシナリオができない」みたいなことを言う人もいるのかもしれません。スケジュール中に読みましょう。でも読んだだけで「よし、今日も描いた」なんて言っちゃだめですよ。
  • その3「新しいコンピュータが必要だ」絵の場合、ほんとうに良い道具が必要になります。アプリケーションがスムーズに動くスペックのPC、ペンタブ、デュアルスクリーンなどです。ただ、本当に描きたいのであれば最低限紙とペンがあればいつでも描けますよね。わたしのはクソザコオンボロPCくんですが何とか描けてます。ものすごいスペックの道具が揃わなければ描けないというわけでもないので、この言い訳を自覚したら「ほんとうに今の環境では描けないのか?」と自問してみましょう。
  • その4は「気分が~」「インスピレーション」。これの言い換えとして聞くのが「モチベが~」というヤツでしょう。スケジュールを立てて描いてください。ほんとに描きたいものが無くなったら、美術解剖学なりパースなり、勉強することはたくさんあるので勉強しましょう。学び終えた後は新しい技術を使った絵を描きたくなっていることでしょう。

第3章:動機づけは大切 書こうという気持ちを持ち続ける

  • スケジュールを立てたはいいけれど、初めはどこから手を付けていいのかよく分からない、という事態に陥ることもよくあります。最初にやるべきことは「目標を設定すること」です。目標を立てることは執筆の準備のひとつなので、スケジュールを割り振った時間に立ててしまいましょう。
  • まずは目標事項を列挙します。長いリストになりますが、スケジュール派はそのリストが終わることを想像できるはずです。つぎに大きな目標を小さな目標に分割しましょう。この段階では具体的な目標が必要になります。「200ワード書く」「新しい原稿に目を向けてアウトラインを作る」など何をやればいいのか分からなくなることが無いようにしましょう。
  • 次に目標に優先順位を付けましょう。研究者の方々は入稿用の原稿チェックを最優先、締め切りのあるものをその次…というふうにしているようです。大学院生向けの優先順位の付け方も書かれていますが、省略。
  • モチベーションを維持するのに有効な手段は他にもあります「進行状況を監視する」ことです。これには目標を明確にする効果と、行動を監視して望んだ行動(この場合執筆)が導かれる効果があります。著者は日付とその日に書けたワード数をソフトで監視しているとのこと。
  • スランプについては切り捨てています。スケジュールに従って書いていればスランプに陥ることはない。としています。
    • 絵でも目標の設定は大事ですね「このキャラのこのシチュを描く」とか「美術解剖学の本の前腕の部分を模写する」など具体的にすればするほど捗ると思います。
    • 進行状況の監視についてですが、わたしは一時期描きはじめる前に、Excelでその日の目標を立て、達成するたびにチェックマークを付けていました。「ラフ」とか「顔の塗り」とかですね。いまはやめてしまいましたが、自分がどのくらいの時間を掛ければどの程度作業が進むのか把握できたのは役に立ちました。
    • スランプは…わたしはスランプの経験があまりありません。絵だとあってもおかしくなさそうですが…

第4章:励ましあうのも大事 書くためのサポートグループを作ろう

  • 研究者・大学院生・学部生たちの不平不満の言いあいはもはや芸術の域に達していますが、無意味なものです。本章はこうした言いあいをより生産的なものにするためのサポートグループを招集するための章です。
  • 執筆サポートグループを運営するための重要事項は5つ。
    • 1.集まるたびに短期目標を共有し、みんなで相互チェックする
    • 2.愚痴りあいにならないよう、目標は執筆関係のものに絞る
    • 3.大きな目標を達成したメンバーにはご褒美を、うまくいってないメンバーには現実的な目標を立てさせる
    • 4.教員と院生を分ける
    • 5.コーヒーを飲もう
  • サポートグループは社会的圧力を生み、執筆を進ませる。学科の友人と組めば書くことはもっと楽しくなるはずだ。
    • これは同人サークルですね!参加したことはないですが、やはりみなさん活力をもらったりしているのでしょうか。

上に書いた通り5~7章は飛ばします。ですが簡単に触れておくと、5章は文体(しかも英文!)、6章は学術論文を掲載させるまで(リジェクトされても諦めないで、リジェクトはされて当然なのだから)、7章は本を完成させるまで、です。

第8章 おわりに

  • 本書の核心は「スケジュールに沿って書き進める」というものでした。
  • スケジュールを立ててそれを進めると、執筆活動は日常生活の一部になっていきます。達成するたびに自分を褒め、ご褒美をあげましょう。日々の小さな達成がモチベーションになります。
  • 文章をたくさん書くために必要なのは才能でも動機づけでもなく、書きたいと思うことでもありません。スケジュールを立て、従う。それだけです。いくら執筆が習慣になっても書くことはたいへんでつらいことですが、決めたことをただやるだけです。
  • 文章をやたらたくさん書くのではなく、自分で書きたい量を書きましょう。少ないことをきっちり書きたいなら、執筆時間を考える時間に使うのです。論文を量産して業績ばかり追うようになったら、自分の目標を考え直してみるべきです。
  • さいご。人生を楽しみましょう

いかがでしたでしょうか。絵を描く人も「スケジュールを立ててそれに沿って描く」ということをいちどやってみて下さい。ほんとうに作業が進むようになりますよ!では、お読みいただきありがとうございました。

*1:財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターより

*2:さる大物youtuberもこう発言しています「収入が1円でもあれば立派な仕事」

【要約】『啓蒙思想2.0』第3部 ジョセフ・ヒース著

 

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

 

前回の記事

 

amidoribath.hatenablog.jp

 

 

amidoribath.hatenablog.jp

 

 

前回までで『啓蒙思想2.0』の第2部までを要約を終えました。

この記事では最後となる第3部を要約します。

3部の目的は社会が正気を取り戻すための方策を探ることです。まず、現在(原著出版時点の2014年)左派が採用している2つの戦略を見込みがないとして退けます。そして、理性に対する新しい理解と、政治状況を踏まえた第3の戦略を提示して本書は閉じられることとなります。

第3部:正気を取り戻す

第10章:砲火には砲火を あるいは、なぜブタと闘うべきではないのか
  • アメリカの共和党は政策をフレーミングするのに長けている。議論を呼びそうな題材でも言葉巧みに言い換えてポジティブなイメージを想起させるのが上手い*1。一方で民主党はそうではない。単に言い換えがヘタというのこともあるが、進歩的な見解は複雑かつ微妙であり、もともとフレーミングに適さないのだ。
  • 成功するフレームは血縁、チームワーク、処罰などの本能に訴える。これらの本能は属する人数が少ない部族的社会では協力を生み出したのだろうが、近代社会にはかえって害悪となる。カリフォルニア大学のジョージ・レイコフは進歩的な考えも共感という本能に基づいており、本能に響くようにフレーミングできると考えている。しかし、共感は対象となる範囲が限定されていることで知られる。進歩的政策を共感が促進するという考えは疑わしい*2
  • ジョナサン・ハイトやジョージ・レイコフのように、進歩的な考えも直感に根差していると考える論者は、進歩派が敗北する理由をフレーミングの稚拙さにあると考えてしまう。そうではなく、複雑な立場は自己の相対化や視点取得など直感にはできないことを求め、フレーミングが難しいことが問題なのだ。そして何より危険なのは、なんでも直感に根差すという発想が反合理主義をさらに推し進めかねないことだ。
第11章:もっとよく考えろ! その他の啓蒙思想からの無益な助言
  • 現代のリベラルはジレンマを抱えている。複雑で難解なアイデアを率直に説明する王道の方法は、相手の耳に届かない。アイデアを単純な形に加工して伝える裏道の方法は、政策そのものをも歪めてしまい反合理主義を蔓延させる。
  • リベラルな政党はこれを打開しようと、選挙中はメッセージを単純化し、政権をとった後に難解な政策を実行するという作戦に打って出ることがある。これは大抵うまくいかない。この作戦は有権者に反発されるし、単純化した政策が本当の政策にとって代わられてしまうこともしばしばだ*3
  • 一部の識者は、かつての啓蒙思想1.0を復活させようと本を書いたり、バイアスを自覚して真面目に考えろと説教したりする*4。だが実験が示しているのは、バイアスに自覚的になったところでバイアスを排除できるわけではない*5、ということだ。限られた認知的資源は、ますます非合理化する世界に対して無力である。
  • 右派の非合理な主張を左派のコメディアンがひたすらおちょくる、という作戦もある。しかしこれは時間稼ぎにしかならないだろう。正気を取り戻すための最もいい方法は、理性の声が響く環境を整備することだ。
第12章:精神的環境を守る 選択アーキテクチャー再考
  • 不合理性が人間の宿命だとしたら、なぜある人がある人を食い物にできるのだろうか?たとえば企業が消費者を騙す例に事欠かないのはなぜだろうか?答えは企業の意思決定が合理的思考を促すような環境で下されているからだ。対して消費者が頼れるのは自分自身の脳だけである。
  • クルージの極意は問題を解決するために「問題」を解決する必要がないということだ。問題を回避できるようなクルージを用意できれば合理的行動に近づくことができる。賃金を下げなくてはいけないが、それはあまりにも痛みを伴うので、インフレを起こして痛みが減ったように錯覚させるように*6。合理性はクルージの発見によって推進されるだろう。
  • 合理的思考は繊細で、教室のような空間でしかうまく機能しない。構造を抽象化し、自明とは思われない仮定を受け入れさせるのは、ふつうの社会環境では不可能だ*7。独学でものを修めた人は、テストなどを受けられないため間違った考えを抱き続ける傾向にある。
  • 理性に対して敵対化し続ける社会において、いまだに連発される助言は意志の力でセルフコントロールを高めろ、というものだ。だが、セルフコントロールが上手な人は意志に頼っているのではなく、意志がなくても自制が成功するような環境を構築しているのだ。そして、他の人たちものまた自制の資源になる。
  • 田舎は周囲の眼に晒される抑圧的な環境である。しかし、この視線がセルフコントロールをしやすくしていることを忘れてはならない。逸脱に対する社会的烙印もまた逸脱を抑止しているのだ。
  • 自制に頼れなさそうな場合は法的規制が敷かれることもある。だが、この種の法規制は法的パターナリズムであるという批判を免れない。しかし、認知バイアスの研究は人間が論理的思考のなかで系統立った誤りを犯すことを示した。パターナリスティックな規制が人々の経済的インセンティブを客観的には変更しないとき、その施策は正当化される余地がある。
  • テクノロジーや社会制度はユーザーフレンドリーであるべきだ。デザインの分野では、いかにユーザーに負担を掛けさせずに目的を果たさせるかの研究がすすんでいる。他の分野もこの姿勢を見習うべきなのだ。
第13章:正気の世界への小さな一歩 スロー・ポリティクス宣言
  • 人種差別について考えてみよう。人間の直感はパターン認識と連想で動くため、ステレオタイプ化を避けるのは難しい。現に差別的でない人も無意識では差別的な反応を起こしてしまっている。だが、人間の内集団びいきの指標は任意である。人種に注目させるのをやめて、なにかほかの害の無さそうな指標を見つければよい。
  • アメリカはいまだに民主主義の体現者として見られている。アメリカ政治が失敗すればするほど民主主義への失望は深まっていくだろう*8。現代の民主主義がこれほど危機に瀕しているにも関わらず存命できているのは、意思決定を民衆の熱狂から遠ざけておく仕組みを備えているからだ。代議制、三権分立中央銀行の独立など。二院制は結論を遅らせることで議論しやすい環境を作り出している。責任者の説明責任、与党と野党が質問しあう機会を設ける、議会の録画を放送する際は1分以上放送することを義務づけるなど、理性を働かせやすくる環境づくりのためできることはある。
  • 虚偽報道の規制、政治広告は談話のみで構成する、投票を市民に義務付けるなども有効かもしれない。インターネットについては現時点では影響は不明*9だ。
  • 公的な場で議論の質を向上させるには規範が必要だ。真理を探究するという誓い、説得力のある議論を受け入れる意思、他者の意見に耳を傾け、一つの問題に集中する能力…民主主義は統治にかかわる全ての者に対して自己抑制を求めているのだ。選挙に勝つためにこうした規範を破ると、他の人間もこれに追随してしまう。
  • 最後に、ヒースは非合理化の趨勢を食い止めるための「スロー・ポリティクス宣言」で本書を締めくくる*10

 

まだ「あとがき」が残っていますが、それは各々で読んでいただければと思います。以上で『啓蒙思想2.0』の要約は終了です。

第3部では啓蒙思想1.0から啓蒙思想2.0へのアップデートのための方法が示されました。理性は環境に依存しているのだから、環境を改善すれば理性が働きやすくなるはずだ、というのは第1部での議論を受けての綺麗な着地になっていると思います。

とはいえ、環境を整備するにしても、わたし達市民ができることは改善を公約する政党になるべく投票することぐらいでしょう。しかし、本書で繰り返されたことですが、政党は市民の理性をスルーすることで得票という利益を得られるのです。であれば、政党が合理性を促すような政策を公約するのはそもそも難しいということになりそうな気もします。

…いくつかの疑問点を抱かれた方もいるでしょうが、本書は現代の世界に見通しを与えてくれる本です。どうしていまの世界はこんなことになっているんだろう?といった疑問を持っているなら一読の価値があるでしょう。ぜひ読んでみて下さいね。

また、この一連の記事を読んでくださった方、どうもありがとうございました。

 

 

Don't Think Of An Elephant!: Know Your Values And Frame The Debate

Don't Think Of An Elephant!: Know Your Values And Frame The Debate

 

 10章で批判の的となったジョージ・レイコフ先生の本。未邦訳。ハイト先生の「象と象使い」といい、みなさん象がお好きなのでしょうか?

 

反共感論―社会はいかに判断を誤るか

反共感論―社会はいかに判断を誤るか

 

 共感は進化によって作られたものですが、合理的に物事を考え、世界を改善するのにはどうも使えなさそうだ、とヒース先生は考えているようでした。この『反共感論』も同じ立場に立っている本です。たしか共感のスポットライト的な性質からいって、福祉を向上させるような複雑なことはできないよ、と説く本だった…と思います。

 

Kitchen Safe 完全な単位 (White Lid + Clear Base)

Kitchen Safe 完全な単位 (White Lid + Clear Base)

 

 本じゃねえじゃねえか!

…ですが、これは便利ですよ。『啓蒙思想2.0』のクルージという発想をこの箱はまさに体現しているといえるでしょう。「設定した時間が来るまで絶対に明かない箱」です。これにタバコなどをいれておけば吸わずにいられるというわけです。

依存症の問題は「対象となるものを摂取したいという欲求がなくならないこと」でしょう。この欲求を無くすために意志力を使え!というのがふつうのアドバイスですが、この箱を使えば欲求が消えなくても摂取は避けられるのです。問題を解決するのではなく、問題があっても不都合な結果に堕ちいらずに済む環境を構築する。こういった商品が充実すればセルフコントロールの未来は明るい…かも。

*1:例として挙げられているのは「拷問」を「尋問の促進」、「石油の採掘」を「エネルギー探査」と言い換えること。「エネルギー探査」は秀逸ですね

*2:厳罰化を止めるために共感は使えるの?という例で疑問を差し挟んでいます。加害者(と疑われているひと)に共感する?どうやって??

*3:つらい

*4:ヒース先生曰く「とにかくもっと頑張れ」戦略p.343

*5:ブライアン・ワンシンク先生の研究が引かれています。ワンシンク先生は心理学研究の不正で大学を去っていることもいちおう記しておきましょう→https://www.enago.jp/academy/nutritionist-resigns-with-retractions/

*6:申し訳ないのですが経済学はまったく分かりません。pp.351-354に書いてあるのでご自分で読むことをお勧めします

*7:本は長い議論ができる貴重なツールだ、としています。本を読もう!!!!111

*8:これは2016年の…言う必要もないですね…

*9:原著は2014年出版

*10:気になる方はご自分でお読みください

【要約】『啓蒙思想2.0』第2部 ジョセフ・ヒース著

 

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

 

前回の記事

amidoribath.hatenablog.jp

 

 

前回は序章および第1部を要約しました。今回はその続きの第2部です。

2部の目的は、1部で整理したあらたな合理性の概念を使って

なぜ現在のような非合理性が蔓延した社会が到来したか、

また、その非合理性は政治とどのような関係にあるのかを説明しています。

 

第2部:不合理の時代

第6章:世界は正気をなくしたか?……それとも私だけ?
  • 相手を不合理だと責めるのは難しい。不合理性を立証する確かな証拠は簡単には見つからない。
  • 相手が不合理だと評価するときは、相手が理性的であるという全ての仮定を検討し終えたあとでなければならない。仮に相手が不合理だとすると行動に無限の解釈がなされることになる*1
  • 1部で論じた通り、理性は環境に依っている。環境が理性の働きを阻害するように変化すれば、人間が非理性的になるのも無理からぬことである。そして、環境はわたし達を欺くために変化している。成功した商品は人間のヒューリスティックを混乱させることで成功しているのだ。
  • 環境が人間に反応して進化することを逆適応と呼ぶ。幼児成熟した犬・猫、おいしすぎる果実などがその例だが、自然界よりも人工物の進化が著しい。文化の逆適応は理性にとっておおむね有害である。
  • ディセプター((人間を非理性的にするためにデザインされたもの))は文化の中に蓄積され、自己複製し、お金を搾り取る。もっとも明白な例は依存性物質*2である。カジノ・お菓子・SNSも同様に逆適応したものだ。人類の自己統制の力が増しているとはいえ、環境に追いついているとはいい難い。
第7章:ウイルス社会 心の有害ソフト
  • 人間の文化の中にはバイアスにつけ込んで増殖するものがある。陰謀論、呪術的な迷信などがそれにあたる。たとえ間違った知識だとしても心の脆弱性につけ込んでそれらは広まってしまう。
  • 人間を欺く最も大きな動機は商業的なものだ。合理的な人は非合理的な人を搾取することができる。金融イノベーションの多くは、人間が将来の価値をうまく計測できないという欠点を利用して利益を上げている。
  • 広告も理性を無視するように進化してきている。最初期の広告は消費者を説得しようと商品の利点を論証していたが、生産者はもはや消費者に理由を与えることを放棄している。必要なのは信用であり、信用は直感的なアピールで作られるのだ。
  • 人びとが愚かゆえに商業主義に走るのではない。商業主義が作り出した環境が人間を愚かにする。ロバート・チャルディーニの言うとおり、人間は「私たちは根本的にもっと複雑な世界を築き上げることで、認知能力の不足を自ら招いてしまった」ようだ。より正しくは、世界は理性にとって敵対化した。そして、政治の世界も例外ではない。
第8章:「ワインと血を滴らせて」 現代左派の理屈嫌い
  • アメリカの保守派は理性をスルーさせる広報戦略をすっかりものにしたようだ*3。しかし左派がこれを批判するのはややおかしなことといえる。こういった反合理主義はかつての左派の方法論の焼き直しだからだ。
  • 左派は歴史的にも合理主義だった。マルクスは科学の権威にあずかろうとしたものだ。しかし第2次大戦によって反転が起きた。ナチによる官僚化された殺人、殺傷能力を高めるために利用された科学技術は啓蒙思想を貶めるのに十分だった。理性は人を管理し、抑圧し、モノ化するのだという発想が広く信じられた。理性を放棄し開放と自由をもたらすのが左派の目的となったが、それは単なる反合理主義に堕してしまった。
  • 流行した議論は合理性を2つに分けるものだ。まず商業主義、科学を伴うわるい合理性を「技術的合理性」とする。それに対し、わるい影響から逃れている「ナントカ合理性」が称揚される。フェミニズムはこの発想の影響を強く受け、「男性的」な「技術的合理性」を排し、「女性的*4」な直感を重視する方向に舵を切った*5
  • いまだに左派が非合理主義をもちだす場面もある。反ワクチン運動は泣き叫ぶ子どもや母親の直感を根拠にしていることが多いのだ。
  • 左派のあいだで流行した「進歩的教育*6は、合理的な思考を育むものとはいえなかった。合理的思考によって容易さはむしろ敵なのだ。
  • わたし達の社会から合理性が失われているのは、市場でも政治の世界でも、人びとのバイアスを利用して利益を得る技術がそうでない技術と比べて広まりやすいからである。合理性を維持するにはユートピアに期待するのではなく、意識的な自覚、介入が必要だが、左派はそういったものを抑圧として排除しようとしてしまった。しかし、左派は元来進歩を求めるものであり、進歩には理性が欠かせない。左派と理性の関係は必然的なものなのだ。
第9章:フォレスト、走って!常識保守主義の台頭
  • 共和党出身の大統領ロナルド・レーガンは作話症*7だった。繰り出すエピソードが嘘だとばれたあとでも素知らぬ顔で嘘をつき続けることができた。CNNのような24時間ニュース専門チャンネルは多様なニュースを報道するのではなく、同じニュースを反復した。そして政治家は人々はメッセージに共鳴さえすれば、真実など気にしないということにも気づいたのだ。この「虚実は無視して共鳴されるメッセージをひたすら反復する戦略」は左派よりも右派の手法として定着している。
  • 「常識」保守主義を支えているのは『フォレスト・ガンプ』に描かれているような反エリート主義である。専門家たちが有益だと結論した複雑な政策は、直感に反しているという点だけで潰されていった。
  • 右派の反合理主義が典型的に顕れているのは刑事司法の分野である。専門家たちは刑期の延長に抑止効果が全くないか、あるいはあっても少ししかないということを合意している。一方で一般の市民は懲罰の効果を大きく見積もりすぎている。本能としての報復衝動はわたし達に報酬感覚をもたらすので、重い刑罰はよい政策だと感じられるのだ。
  • 右派は反エリート主義的な戦略を採用するが、陣営にはいい大学を卒業した合理的エリートがいるのが普通である。もし陣営そのものが反合理主義に染まってしまえば選挙で勝つことはできない*8。反合理主義を見直す動きもあるが、反合理主義はつねに有効な選挙戦略であるため、誘惑にあらがうのはむずかしいだろう。

 

第2部は以上です。1部で明らかになった「理性は環境の足場に支えられている」という理解をもとに、バイアスの穴を突くミームが環境に広がり、理性を機能させづらくしているとヒース先生は考えているようです。

この手の議論が陥りがちな「巨大資本の陰謀が~」のような陰謀論をうまく回避し、(企業にとっても政党にとっても)利益の追求が反合理的なミームを進化させてしまう道筋をうまく描けているのではないでしょうか。とはいえ、消費者の非合理的性と利益が相関しているとすると、放っておけば理性は蝕まれるばかりというなんとも落ち込む話でもありますね。

後半の2部について、わたしは政治にあまり詳しくないので正確な論評はできませんが、左派が進歩を求めるかぎり、今後いっそうの理性の発揮が必要になるだろうとの立場には賛成します。

次回は第3部を要約します。3部はお待ちかねの処方箋の提示ですよ!

 

 

真理と解釈

真理と解釈

 

 「寛容の原則」が説明されているらしい本。未読。ぜったいむずい。

 

 

 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 反エリート主義についてはこれでしょうか。これを読んだら読んだで「やっぱエリートってちょっとな」となりかねない本でもあったような。しかし、現在の学問エリートはかつてのような単なる衒学者ではなくなっています。ランダム化比較試験、疫学などが発達し、科学が政治に役立つ時代になっているのです。

 

*1:うーん。ここの要約はなんか違うかも。原初を読んでみてください。6章はそもそも何がしたいのかじたい分かりづらいです…

*2:ヒース先生は触れていませんが、市場のアルコール飲料が飲みやすくなるよう成分が調整されることなどもこれに当たるでしょう

*3:さまざまな例が挙げられています。わたしのお気に入りはサラ・ペイリンの「グリズリー・ママ」キャンペーン

*4:男性が合理的であり、女性はそうではない、という古臭い固定観念は間違っているとしています。男女はモジュール≒システム1においては違いがあるものの、第1部で説明されたとおり、理性は副産物かつ、外部の足場に依存しているがゆえに脳の男女差の影響を受けない、とのこと

*5:初期のフェミニストであるメアリ・ウルストンクラフトは啓蒙主義的アプローチを取ったが、メアリ・デイリーなどが反合理主義をとったと説明されています

*6:カリキュラムに基づかない学生の興味に沿った勉強、暗記をしないなどの特徴をもった教育のことです

*7:嘘である自分の話を真実だと思い込む力に長けていたから、とのことです。病気あつかいはちょっとキツい

*8:2012年アメリカ大統領選のミット・ロムニー陣営には反合理主義が広がっていたようだ、との見立てをしているようです

【要約】『啓蒙思想2.0』序章・第1部 ジョセフ・ヒース著

 

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

 

 

 

はじめに

ジョセフ・ヒース先生の著作『啓蒙思想2.0』の内容を3回に分けて要約します。

今回は序章と第1部。本書のあらましと、理性および、それと対置させられる直感の限界と必要性を記述した1~5章です。雑な要約ですがお付き合いくだされば幸いです。

なお、本書は例として引かれるエピソードが的確かつ面白いのですが、それらのほとんどはこの書評では飛ばしていくつもりです。読みたい方はぜひご自分で読んでみてくださいね。

 

序章

  • 世界はいまやリベラル派と保守派ではなく、正気と狂気に分かれている。
  • 「相手に真実だと納得させることをはじめから放棄しているウソ」をウンコ議論(bullshit)と呼ぶ*1ウンコ議論は政治の世界で多用されている。政治家は嘘でもいいとついに気付いてしまったようだ。
  • 保守派は常識を重視しエリートを軽蔑する。そして一部の心理学者は人間は理性など使えないのだと言う(ハイト先生とか)しかし、理性なしには現代社会は運営できない。
  • オキュパイ運動は失敗した。リベラルの求める変革には妥協や集団行動が必要であり、スローガンだけでは達成できなかったからだ。スローガンを超えて思考するにはそれに見合う精神的環境が必要だ。
  • たしかに科学は人間が理性と直感に分かれていることを示した。だが、理性は直感に従うしかないと証明されたというのは言いすぎだ。
  • 本書はいにしえの啓蒙思想1.0をアップデートするものだ。かつての啓蒙主義者は理性を個人的なものだと見なしたが、ほんとうの理性–啓蒙思想2.0は非集権的で分散的なものだ。
  • 2章で論ずるとおり、理性は環境にも支えられているが、消費者はなおさら非理性的になるようデザインされた空間に晒されている。これが人々を非理性的にしている要因だと考えられる。
  • 今後のあらまし
    • 1部:理性の限界と必要性。文明は合理性なしには成り立たなかった
    • 2部:1部で示した合理性の概念を使ってなぜ皆が非合理的になったのか説明
    • 3部:どうやったら正気を取り戻せるか説明

第1部:古い心、新しい心

第1章:冷静な情熱 理性──その本質、起源、目的
  • 合理的思考の特徴は、文章にしたり周りに説明したりできることだ。つまり明示的なこと。直感は他人に説明が難しい。思考するのは時間がかかるので、人間はそれを避けがちである。
  • 理性は明示的な言語表現が必要、文脈に依存しない、ワーキングメモリを使う、仮説の使用を伴う、時間がかかるという特徴を持つ。
  • 脳の2重過程理論。脳にはある機能に特化した部位(顔認識など)があり、モジュールごとに並列処理できる。合理的思考はちがう。直列システムであり1度に1つのことしかできない。2つのシステムは多くの場合ハイブリッドで使われる。
  • モジュールの部分は進化によって作られたと考えるべき証拠がある*2が、理性はやや特殊だ。領域一般的であり、自然には存在しない問題にも答えを出せる。理性は進化の副産物だと考える方が理にかなっている。偶然から生まれたので脳は理性的思考用のデザインはなされていない。非効率的であり、使用すると疲れる。
  • では、理性は何の副産物として生まれたのか?答えはおそらく言語である。言語が基礎であるがゆえに合理的思考は明示的であり、普遍的でもある。ポストモダニストは言語が理性を支えているという事実を相対主義的な帰結をもたらすと考えたが、間違いである。言語自体は普遍的な構造を持っている。
  • かつて啓蒙主義者たちはシステム2≒理性だけですべてを解決できると考え、現代では社会心理学の蓄積がシステム1≒モジュールがすべてだと考えているようだ。しかし、現実はもっと凡庸である。システム2にはシステム2にしかできないことがあるのだ。
第2章:クルージの技法 あり合わせの材料から生まれた脳について
  • 啓蒙思想2.0を打ちたてる前に啓蒙思想1.0が失敗した理由を考えなくてはならない。
  • 理性はクルージ(問題そのものを解決せずに正しく機能させることをさす概念*3)の集積として機能している。たとえば記憶は位置アドレス指定システム(記憶ひとつひとつに住所が与えられ、呼び出せる)になっていれば使いやすいが、進化が作った記憶システムはセックスや暴力の記憶をついでに想起させてきてしまう。そこで小手先の工夫(一つの物語にまとめてしまうとか)に頼る。これはまぁまぁ機能するが、根底にある問題は解決されていない。
  • 人間の脳の特徴は、環境にあるものを利用して拡張をはかることだ。2ケタの掛け算を暗算するのは脳だけではとても難しいが、紙とペンがあればたやすくできる。紙、ネット検索、他の人たちといった外側の環境システムは理性をはたらかせるのに欠かせない。理性の働きは環境に依存しているのだ。
  • 直列処理システムは処理に順番を与え、論理的思考を可能にする。脳は直列処理に適応していないため、注意の割り振りに失敗しやすい。読書に集中したいのにお腹が空き、眠くなる。そこでわたしたちはクルージに頼る。気になる音のや注意の引くもの(セックス)がない環境を作り上げて集中しやすくする。
  • 啓蒙思想1.0は理性が環境に依存していることを理解していなかった。合理主義者たちは理性を過信し、システム1や社会の進化が持つ重要性を無視して失敗を繰り返した。保守主義者は今あるものは理性では理解できないかもしれないが、存続してきた伝統にはなにか利点があると考える。
第3章:文明の基本 保守主義がうまくいく場合
  • 社会契約論を唱えた思想家たちは、社会を無から構想しようとした。合理性をつきつめればユートピアが来ると考えていた。
  • フランス革命を批判したエドモンド・バークはゼロから社会を構築しようとする発想は失敗する運命にあると考えた。わたし達はゼロから作り直せるほど頭が良くないので、今あるものに少しづつ足していったほうがうまくいきやすい。
  • 人々は互いに協力することで共同の利益を得られる。殺人や盗みは自分のことだけを考えれば合理的だが、全員に許されると全員が不幸になるので、禁止することでみんなが小さな利益を得る。だが、これは難しい、人は自己正当化が得意で、報復に関心を持ちすぎる。人間は小規模社会に適応して進化しているため、大規模社会で合理的な行動はとりづらいのだ。協力するためには大規模社会を小集団に分割するなどのクルージが必要になる。国民国家も強力を可能にするクルージといえる。
  • 道徳心も環境を足場にしているようだ。慣習が崩れると人々は混乱状態に陥る。そして(自称)カリスマ的なリーダーに惹かれてしまう。
  • わたし達の理性には限界があり、それをクルージで補っているがそのことは忘れられやすい。理性があれば協力関係が築けるという発想は忘却の最たるものといえる。人間は伝統や制度に依存しているのだ。だから保守主義が有効なときもある。
第4章:直感が間違うとき そして、なぜまだ理性が必要か
  • 直感の弱点は反省できないことだ。与える解決が機能しているのかどうかさえ分からない。理性はいつ直感を使うのか反省するメタ認知をもたらす。だから理性が最上位であるべきである。
  • 直感的な認知は進化したものであり、原理的にいって遺伝子に奉仕するものだ。直感は暴力、セックスに関心を持ち、身内びいきをともなう。理性は外適応(言語の副産物)であるため、この軛からあるていど自由である。わたし達は暴力的衝動を抑え、身内だけをひいきしないことを学ぶ必要がある。直感がもたらす不合理は消し去ることができない。メタ認知をつかってその都度修正するしかないのだ。
  • 直感がうまく機能するのはおおむね自然環境であり、人工的な環境(構築環境)では欠陥が目立つ。不自然な環境がヒューリスティックを失敗させることを「ナトリウム灯問題*4」という
  • 直感は時間差にも弱い。近い将来のことに関心がありすぎ、長期的な損得を計算するのが苦手である。肥満はこの直感の傾向との戦いといえる。寿命が30年の進化環境では問題ではなかったが、近代社会で直感だけに頼るのは危険だ。
第5章:理路整然と考えるのは難しい 新しい啓蒙思想の落とし穴と課題
  • 非合理な信念(治療の奇跡など)のなかには論理思考の欠点につけ込むことで淘汰を免れるものがある。治療の奇跡の場合「それをしていなかったら治っていないのか?」という否定的要素を考えなければ効果は確かめられないのだが、確証バイアスによって検討は難しくなっている。
  • 「バイアス盲点(自分だけは他人と違ってバイアスから自由であるという思い込み)」も大きな問題だ。ヒース先生もある問題にひっかかってはじめて確証バイアスを真剣に考えるようになったとのこと*5
  • 知能が高くてもバイアスからは自由でいられない。確証バイアスにとらわれて陰謀論を唱えるかしこい人がいるのはこれが理由である。反証を考えることは重要だ。アインシュタインが優れた科学者だったのは「どうすれば自分の理論が間違いだと証明できるか」に自覚的だった点なのだ。
  • 他人は理性的に考えるうえで重要なクルージである。内省でバイアスを避けることはできない。権威や人間関係に縛られず自由に論争することは、バイアスを避けるうえで有効な手段だ。他人との議論は合理的思考の一部なのだ。
  • 以下、克服されるべき最重要のバイアス
    • 楽観バイアス:世界はコントロールでき、わたしは有能と思う
    • マイサイド・バイアス:自分の利益がいちばんだいじ
    • フレーミング効果とアンカリング効果:でたらめなアンカーにまどわされる*6
    • 損失回避:放棄される利益より損失の方が痛く思える
    • 信念バイアス:すでに抱いている信念を補強する証拠を重視してしまう
    • 確率:人間は確率をうまく扱えない
    • これらは直感がもたらす間違いであり、理性によってしか克服できないものだ。
  • ところで自然状態とはなにか?ホッブズの言うとおり、自然状態は貧しく、残忍でつらい環境だ。しかし「孤独」という点に関して彼は間違っていた。自然状態は孤独ではなく部族的だ。部族はより大きな社会における協力を妨害する。報復は部族の維持には有効だが、人が増えるたびに頻発する事故に対応できなくなっていく。国家は私的な復讐を担うことでで部族主義を克服するクルージだ。
  • 保守主義の弱点は漸進的改革しかできない点にある。理性的に考え、組織を0から作り直した方がいい局面も世界には存在する。
  • 法の支配、市場経済、官僚制、福祉国家多文化主義はすべて不自然なものであり、理性的な洞察なしにはなしえなかったといえる。フロイトが文明は本能の抑圧のうえに築かれていると言ったのは正しかったのだ。

 

第1部はこれでおしまいです。ちかごろ(2019年の今はもはや一昔前?)は人間にバイアスがあることが多数の実験によって示され、理性など使い物にならないという考えが広がりを見せました。

本書はそれを受け止め、理性はのろく、使うと疲れ、環境の足場がなければ機能しないことを認めながら、それでも理性が必要になる場面はある。という立場に立っています。

次の第2部はなぜ世界が理性的に考えることが遠ざかってしまったのか、その原因究明となります。

 

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

 

 真実だと思わせるつもりさえなくつかれるウソがあるよ。ということを説明した本。

 必読書ですが、心理学の「再現性の危機」問題で疑念がついてもいる本。いま読んでいる『啓蒙思想2.0』もこの本からかなり影響を受けています。

 

 

 

*1:山形浩生さんがこの素敵な訳を与えました。さすが

*2:ちなみに、ここ(pp.51-55)の進化に関するヒース先生の説明はたいへんに面白いです

*3:この説明はあんまり自信がありません。ヒース先生が引いている例は「ある数値を入力すると決まった手順を経て数字を出力するプログラムを作る。そのプログラムはうまく機能するが、37を入力したときだけバグる。そのときプログラムそのものを直さず、37が入力された時の例外処理を作り、結果的に正しい数値をはじき出すようにする」というもの。74ページ

*4:脳は太陽光のスペクトルの変化を自動的に補正して、モノの色を日夜同じ色に見せているのですが、ナトリウム灯のもとでは補正が効かなくなることからこう呼ぶらしいです

*5:よほど悔しかったのでしょうか。数ページにわたって記述があります

*6:註で挙げられている本は『ファスト&スロー』。この本は再現性に疑問がも持たれている本でもありますhttps://twitter.com/ykamit/status/1003506938372648960