【要約】『啓蒙思想2.0』第3部 ジョセフ・ヒース著
前回の記事
前回までで『啓蒙思想2.0』の第2部までを要約を終えました。
この記事では最後となる第3部を要約します。
3部の目的は社会が正気を取り戻すための方策を探ることです。まず、現在(原著出版時点の2014年)左派が採用している2つの戦略を見込みがないとして退けます。そして、理性に対する新しい理解と、政治状況を踏まえた第3の戦略を提示して本書は閉じられることとなります。
第3部:正気を取り戻す
第10章:砲火には砲火を あるいは、なぜブタと闘うべきではないのか
- アメリカの共和党は政策をフレーミングするのに長けている。議論を呼びそうな題材でも言葉巧みに言い換えてポジティブなイメージを想起させるのが上手い*1。一方で民主党はそうではない。単に言い換えがヘタというのこともあるが、進歩的な見解は複雑かつ微妙であり、もともとフレーミングに適さないのだ。
- 成功するフレームは血縁、チームワーク、処罰などの本能に訴える。これらの本能は属する人数が少ない部族的社会では協力を生み出したのだろうが、近代社会にはかえって害悪となる。カリフォルニア大学のジョージ・レイコフは進歩的な考えも共感という本能に基づいており、本能に響くようにフレーミングできると考えている。しかし、共感は対象となる範囲が限定されていることで知られる。進歩的政策を共感が促進するという考えは疑わしい*2。
- ジョナサン・ハイトやジョージ・レイコフのように、進歩的な考えも直感に根差していると考える論者は、進歩派が敗北する理由をフレーミングの稚拙さにあると考えてしまう。そうではなく、複雑な立場は自己の相対化や視点取得など直感にはできないことを求め、フレーミングが難しいことが問題なのだ。そして何より危険なのは、なんでも直感に根差すという発想が反合理主義をさらに推し進めかねないことだ。
第11章:もっとよく考えろ! その他の啓蒙思想からの無益な助言
- 現代のリベラルはジレンマを抱えている。複雑で難解なアイデアを率直に説明する王道の方法は、相手の耳に届かない。アイデアを単純な形に加工して伝える裏道の方法は、政策そのものをも歪めてしまい反合理主義を蔓延させる。
- リベラルな政党はこれを打開しようと、選挙中はメッセージを単純化し、政権をとった後に難解な政策を実行するという作戦に打って出ることがある。これは大抵うまくいかない。この作戦は有権者に反発されるし、単純化した政策が本当の政策にとって代わられてしまうこともしばしばだ*3。
- 一部の識者は、かつての啓蒙思想1.0を復活させようと本を書いたり、バイアスを自覚して真面目に考えろと説教したりする*4。だが実験が示しているのは、バイアスに自覚的になったところでバイアスを排除できるわけではない*5、ということだ。限られた認知的資源は、ますます非合理化する世界に対して無力である。
- 右派の非合理な主張を左派のコメディアンがひたすらおちょくる、という作戦もある。しかしこれは時間稼ぎにしかならないだろう。正気を取り戻すための最もいい方法は、理性の声が響く環境を整備することだ。
第12章:精神的環境を守る 選択アーキテクチャー再考
- 不合理性が人間の宿命だとしたら、なぜある人がある人を食い物にできるのだろうか?たとえば企業が消費者を騙す例に事欠かないのはなぜだろうか?答えは企業の意思決定が合理的思考を促すような環境で下されているからだ。対して消費者が頼れるのは自分自身の脳だけである。
- クルージの極意は問題を解決するために「問題」を解決する必要がないということだ。問題を回避できるようなクルージを用意できれば合理的行動に近づくことができる。賃金を下げなくてはいけないが、それはあまりにも痛みを伴うので、インフレを起こして痛みが減ったように錯覚させるように*6。合理性はクルージの発見によって推進されるだろう。
- 合理的思考は繊細で、教室のような空間でしかうまく機能しない。構造を抽象化し、自明とは思われない仮定を受け入れさせるのは、ふつうの社会環境では不可能だ*7。独学でものを修めた人は、テストなどを受けられないため間違った考えを抱き続ける傾向にある。
- 理性に対して敵対化し続ける社会において、いまだに連発される助言は意志の力でセルフコントロールを高めろ、というものだ。だが、セルフコントロールが上手な人は意志に頼っているのではなく、意志がなくても自制が成功するような環境を構築しているのだ。そして、他の人たちものまた自制の資源になる。
- 田舎は周囲の眼に晒される抑圧的な環境である。しかし、この視線がセルフコントロールをしやすくしていることを忘れてはならない。逸脱に対する社会的烙印もまた逸脱を抑止しているのだ。
- 自制に頼れなさそうな場合は法的規制が敷かれることもある。だが、この種の法規制は法的パターナリズムであるという批判を免れない。しかし、認知バイアスの研究は人間が論理的思考のなかで系統立った誤りを犯すことを示した。パターナリスティックな規制が人々の経済的インセンティブを客観的には変更しないとき、その施策は正当化される余地がある。
- テクノロジーや社会制度はユーザーフレンドリーであるべきだ。デザインの分野では、いかにユーザーに負担を掛けさせずに目的を果たさせるかの研究がすすんでいる。他の分野もこの姿勢を見習うべきなのだ。
第13章:正気の世界への小さな一歩 スロー・ポリティクス宣言
- 人種差別について考えてみよう。人間の直感はパターン認識と連想で動くため、ステレオタイプ化を避けるのは難しい。現に差別的でない人も無意識では差別的な反応を起こしてしまっている。だが、人間の内集団びいきの指標は任意である。人種に注目させるのをやめて、なにかほかの害の無さそうな指標を見つければよい。
- アメリカはいまだに民主主義の体現者として見られている。アメリカ政治が失敗すればするほど民主主義への失望は深まっていくだろう*8。現代の民主主義がこれほど危機に瀕しているにも関わらず存命できているのは、意思決定を民衆の熱狂から遠ざけておく仕組みを備えているからだ。代議制、三権分立、中央銀行の独立など。二院制は結論を遅らせることで議論しやすい環境を作り出している。責任者の説明責任、与党と野党が質問しあう機会を設ける、議会の録画を放送する際は1分以上放送することを義務づけるなど、理性を働かせやすくる環境づくりのためできることはある。
- 虚偽報道の規制、政治広告は談話のみで構成する、投票を市民に義務付けるなども有効かもしれない。インターネットについては現時点では影響は不明*9だ。
- 公的な場で議論の質を向上させるには規範が必要だ。真理を探究するという誓い、説得力のある議論を受け入れる意思、他者の意見に耳を傾け、一つの問題に集中する能力…民主主義は統治にかかわる全ての者に対して自己抑制を求めているのだ。選挙に勝つためにこうした規範を破ると、他の人間もこれに追随してしまう。
- 最後に、ヒースは非合理化の趨勢を食い止めるための「スロー・ポリティクス宣言」で本書を締めくくる*10
まだ「あとがき」が残っていますが、それは各々で読んでいただければと思います。以上で『啓蒙思想2.0』の要約は終了です。
第3部では啓蒙思想1.0から啓蒙思想2.0へのアップデートのための方法が示されました。理性は環境に依存しているのだから、環境を改善すれば理性が働きやすくなるはずだ、というのは第1部での議論を受けての綺麗な着地になっていると思います。
とはいえ、環境を整備するにしても、わたし達市民ができることは改善を公約する政党になるべく投票することぐらいでしょう。しかし、本書で繰り返されたことですが、政党は市民の理性をスルーすることで得票という利益を得られるのです。であれば、政党が合理性を促すような政策を公約するのはそもそも難しいということになりそうな気もします。
…いくつかの疑問点を抱かれた方もいるでしょうが、本書は現代の世界に見通しを与えてくれる本です。どうしていまの世界はこんなことになっているんだろう?といった疑問を持っているなら一読の価値があるでしょう。ぜひ読んでみて下さいね。
また、この一連の記事を読んでくださった方、どうもありがとうございました。
Don't Think Of An Elephant!: Know Your Values And Frame The Debate
- 作者: George Lakoff,Howard Dean,Don Hazen
- 出版社/メーカー: Chelsea Green Pub Co
- 発売日: 2004/09/10
- メディア: ペーパーバック
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10章で批判の的となったジョージ・レイコフ先生の本。未邦訳。ハイト先生の「象と象使い」といい、みなさん象がお好きなのでしょうか?
共感は進化によって作られたものですが、合理的に物事を考え、世界を改善するのにはどうも使えなさそうだ、とヒース先生は考えているようでした。この『反共感論』も同じ立場に立っている本です。たしか共感のスポットライト的な性質からいって、福祉を向上させるような複雑なことはできないよ、と説く本だった…と思います。
本じゃねえじゃねえか!
…ですが、これは便利ですよ。『啓蒙思想2.0』のクルージという発想をこの箱はまさに体現しているといえるでしょう。「設定した時間が来るまで絶対に明かない箱」です。これにタバコなどをいれておけば吸わずにいられるというわけです。
依存症の問題は「対象となるものを摂取したいという欲求がなくならないこと」でしょう。この欲求を無くすために意志力を使え!というのがふつうのアドバイスですが、この箱を使えば欲求が消えなくても摂取は避けられるのです。問題を解決するのではなく、問題があっても不都合な結果に堕ちいらずに済む環境を構築する。こういった商品が充実すればセルフコントロールの未来は明るい…かも。
*1:例として挙げられているのは「拷問」を「尋問の促進」、「石油の採掘」を「エネルギー探査」と言い換えること。「エネルギー探査」は秀逸ですね
*2:厳罰化を止めるために共感は使えるの?という例で疑問を差し挟んでいます。加害者(と疑われているひと)に共感する?どうやって??
*3:つらい
*4:ヒース先生曰く「とにかくもっと頑張れ」戦略p.343
*5:ブライアン・ワンシンク先生の研究が引かれています。ワンシンク先生は心理学研究の不正で大学を去っていることもいちおう記しておきましょう→https://www.enago.jp/academy/nutritionist-resigns-with-retractions/
*6:申し訳ないのですが経済学はまったく分かりません。pp.351-354に書いてあるのでご自分で読むことをお勧めします
*7:本は長い議論ができる貴重なツールだ、としています。本を読もう!!!!111
*8:これは2016年の…言う必要もないですね…
*9:原著は2014年出版
*10:気になる方はご自分でお読みください